b_2T12e_oNu_Vk" /> 桑名正博 実家 倒産
So-net無料ブログ作成
検索選択

桑名正博 実家 倒産

桑名正博実家は老舗の桑名興業。すでに倒産していた。。。
1830年創業の大阪港で回船問屋「桑文」で、桑名正博はその7代目として生まれる。
妹はミュージシャンの桑名晴子。700坪の大豪邸に家族4人とお手伝さん2名が住んでいた。

700坪とは、、、広いな~

芦屋にある甲南中学校に入学し、馬術部に入部。
先輩の影響で初めてお酒を、、、桑名正博のヤンチャが始まる。。。
義務教育であるにも拘らず留年。
そして、退学処分。公立の中学校に移ってから卒業した。

今年の5月には甲南学園馬術部の創部60周年記念式典に参加した桑名正博は
ミニコンサートを開き「甲南中学1年・2年・2年・3年と、、、甲南大学に進みたかったのですが、
点々がとれて、コウナンタイガクになってもた~~」と笑いをとっていた。

・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・ 

<以下女性セブンより引用>

かつて、ロック界の貴公子と称されたこともある桑名だが、その半生は波瀾の連続だった。
1971年、ロックバンド「ファニー・カンパニー」のボーカルとしてデビューした桑名。
しかし、ヒット曲に恵まれぬまま3年後には解散してしまう。
その後、ソロとして活動するも、1977年にはコカインの所持で逮捕される。

「ヒット曲がなくトラブルの絶えなかった桑名さんが、
その後もライブを開いたり、レコードを出し続けてこられたのは、
彼のお父さん(享年71)が資金面で援助してきたからでした」(音楽関係者)

桑名の実家は、江戸時代からの旧家で、
父は貸倉庫業やゴルフ場経営などを手がける資産家だった。
しかし、そんな家柄に桑名は反発し、高校を中退。
それでも父は決して息子を見放すことなく、事務所にかけあい、金銭的にもバックアップしてきた。

その後『セクシャルバイオレットNo.1』のヒットを出し、ロックスターの座に駆け上がった桑名だが、
2000年に転機が訪れる。父の死が桑名に運命を悟らせることになったのだ。

「父への恩返しにと、大阪に帰って会社を継いだのですが、すでにその時、
バブル崩壊のあおりを受けていて、経営は火の車だったんです。
桑名さんは音楽活動も最小限に抑えてがんばったのですが、
700坪はあった父の大豪邸を売り払っても立て直せませんでした」(桑名の知人)

⇒ 桑名正博は医療費が払えなかった。

⇒ 売名行為?桑名正博の元愛人が医療費、、、

そうして、家も会社も失った桑名。
「静かな生活がしたい」と、2006年に生まれ育った大阪を出て、
長野・軽井沢での生活をスタートさせていた。
穏やかな日々のなか、桑名は気がつくと、ギターを握っていた。

・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・ 

若かりし頃、桑名正博の実家の庭にある大きな倉の中で、
バンドの練習をさせてもらっていた男がいた。。。


バンド仲間のドラム担当が桑名正博の実家に間借りしていたことが縁だった。
お母さんや妹・晴子がいつもあたたかく応援してくれていた風景がきのうのように、、、
桑名正博に借りたままのTシャツを返すこともないままの別れはつらいです。

桑名正博の存在に感謝の気持ちとありがとう! その男とは?

  ↓ ↓ ↓



⇒ 桑名正博「御堂筋パレード葬」で天国へ旅立つ

⇒ 桑名正博は「俺が逝った時にはお前が弔辞を、、、」

⇒ 桑名正博 『月のあかり』 の秘話



関連リンク

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。